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柳都振興株式会社は、1987年12月9日、地元有力企業約80社が出資して、全国初の株式会社組織の芸妓養成および派遣会社として誕生いたしました。
新潟は、日本一の米産地を背後に、西廻りの航路の拠点として出船入船で賑わい、人々が交流をしながら発展した街です。江戸時代より粋を凝らした料亭が軒をつらね、文人墨客そして政財界の主役達が日本中から新潟に集まってきました。もてなしの主役である芸妓さんたちの、その新潟らしい心情と美しさは、堀と柳の風光と相俟って、「新潟情緒」として全国に伝えられ、人々の心をなごませてきた歴史的な事実がありました。
新潟に馴染んでいただきたいという心温まる、新潟らしいもてなしの心、それが新潟という街の特性です。その集大成が、新潟に伝わる伝統的な宴席のありようであり、芸妓の品格高い存在感でありました。全国の人々が是非行ってみたい、また行きたいという気持ちになる……その原点がここにありました。
しかし、祇園・赤坂・新橋などと並び称された新潟の古町芸妓は、最盛期には400人を数えましたが、社会の移り変わりの中で激減し、後継者が育たないまま、古町芸妓の伝統はまさに立ち消えようとしていました。
これは、新潟という街の側面を支えてきた大きな特性を失うという問題であり、新潟に住む私たち全体の悩みでもありました。歴史ある料亭など、もてなしの舞台は昔のまま整っています。もし、若い振袖さんが伝統的なしきたりに馴染んで、この仕事を継続し活躍してくれれば、新潟の伝統あるもてなしの心は蘇り、新潟だけにしかない全国に誇れる魅力として再生するはずだと考えました。
私たちは、伝統ある古町芸妓のもてなしの心と、かつてそうであったように、またこれからもなくしてはならない新潟固有の魅力として位置づけ、そして、振袖さんを育成するとともに、地域芸能を伝承しながら、全国に誇り得る諸芸を修め、新潟の三業及び文化の振興を目指すものとして、柳都振興株式会社を設立いたしました。
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若い頃はね、「いつか偉くなって芸妓を呼べるようになりたいもんだ」と思ってがんばったんですよ。上司の鞄持ちで料亭について行くと別室で待たされるんです。それぞれの企業の課長クラスが交流する場でもあったし、料亭文化の一端に触れる大事な場所でもあったんです。新潟の企業人は料亭の小部屋で育ったものでした。 新潟は港町で、人とモノと情報が行き交う場所。いろいろな人の間を取り持つのが料亭文化なんですよ。料亭という場、料理、酒、もちろん一番大事なのがお客様との間を取り持つ芸妓です。
先だって新潟市でG8労働大臣会合がありましたが、各国のリーダーを感動させたのは、米王国の象徴である北方文化博物館と、料亭での芸妓衆のおもてなしでした。私は茶の湯と並んで料亭文化は日本の文化の粋だと思っています。
「新潟を訪れた人が見るべきもの、訪れる価値のあるものは料亭文化じゃないでしょうか。これがなくなったら新潟は何の変哲もないただの地方都市になってしまう」と語る。
柳都振興を立ち上げた21年前は、一番若い芸妓が36-37歳になっていたんです。彼女たちは10代で芸妓になるから、すでに20年くらいは芸妓のなり手が出てこなかったということです。これを放置しては何年か後には芸妓が絶えて、料亭もだめになる。これは交流によって街が成り立ってきた新潟にとっては、芸妓、料亭に限らず産業界全体の問題でもあります。それで考えたのが置屋の株式会社化。当時私は新潟交通の経営に関与していましたから、いわば観光も生業の一つで会社との繋がりもなくはなかった。それで皆に声をかけ、資本金の7,000万円は産業界からの出資ですぐに集まりましたね。
後に他の県でもその方式を参考にして地域の料亭文化を守ろうとしたのですが、失敗に終わったところもあるようです。よそが失敗して新潟がうまくいったのは、三位一体の協力の賜物だと思います。料亭に世話になってきた財界と、料亭の主たちと、それまで自分の才覚と腕だけでがんばってきた現役の芸妓、姐さんたち。この3者が料亭文化を未来につないでいこうと協力できたところが、うまくいった最大の要因です。特に姐さんたちは、大きな心で柳都振興の新入社員(若い芸妓)を育ててくれました。お座敷というのは、若い子がいればそれでいいというものではないんですね。姐さんたちが場の雰囲気を作るんです。彼女たちが若手をもり立てて励ましてやらなければ柳都振興は育たなかった。
会社は今21年目。かつては全国にたくさんあった料亭文化が消え去る中で、新潟は幸い踊り、唄、三味線、太鼓の諸芸も師匠がいて芸妓衆は新潟にいながら芸を磨くことができます。お酌をするだけでは文化とはいえませんからね。新潟の料亭文化は芸妓の芸がしっかりしているんです。「新潟はどんな街?」と訊かれた時に、芸妓のおもてなしが楽しめる街と、これから先も答えていきたいですね。
『2009年 新潟文化物語(http://www.n-story.jp/)特集記事19「新潟芸妓と料亭文化」内のインタビュー記事より』
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商号 | 柳都振興株式会社 | ||
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設立日 | 1987年12月09日 | ||
資本金 | 7,000万円 | ||
所在地 | 〒951-8063 新潟市中央区古町通九番町1463番地 | ||
従業員 | 15名(うち芸妓11名) 2024年5月現在 | ||
事業内容 | 芸妓の養成および派遣 | ||
役員 | 代表取締役社長 | 和田 晋弥 | ㈱和田商会 代表取締役社長 |
取締役会長 | 中野 進 | ㈱シルバーホテル 取締役相談役 | |
常務取締役 | 行形 和滋 | 新潟三業協同組合 理事長 | |
取締役 | 福田 勝之 | 新潟商工会議所 会頭 | |
取締役 | 本間 達郎 | ㈱本間組 代表取締役社長 | |
取締役 | 吉田 至夫 | ㈱新潟クボタ 代表取締役会長 | |
取締役 | 今井 幹太 | 藤田金屬㈱ 代表取締役社長 | |
取締役 | 小田嶋 壽信 | ナミックス㈱ 代表取締役社長 | |
取締役 | 五十嵐 康子 | 新潟芸妓置屋組合 組合長 | |
監査役 | 綱島 知子 | 新潟商工会議所 専務理事 | |
監査役 | 廣田 徹 | ㈱第四北越銀行 専務執行役員本店営業部長 |
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